情報発信するということ
8ビットの時代から、コンピュータに携わっています。
当時はBASICなどでプログラミングができなければ、まったく面白くもなんともない代物でした。
あらかじめプログラムが組みあがったものを買ってきて、それで遊んだり、文章を書いたりするようになり、だんだんと活用できるようになりました。
そのうち、電話回線にモデムをつないで、パソコン通信が出来るようになりました。電話で直接話す場合は1対1ですが、それよりローコストで、不特定多数に発信できるBBS(電子掲示板)の仕組みが確立します。電子メールなども出来るようになります。現在のインターネットの原型です。
不特定多数が集まれば、自分と嗜好の合う人、合わない人が入り乱れます。ささいなことで争いになるのは昔も今も変わりません。
普通、コミュニティというものは器によって集まる人を制限します。
近所の食堂に集まる人、高級ホテルのレストランに集まる人。競馬場に集まる人、パチンコ店に集まる人、宝くじ売り場で行列になる人。それぞれ特徴的な人が集まるように思いがちです。
しかし、冷静に考えると、個々人の細かい性格が異なります。声の大きい人、静かな人。アルコールに強い人、弱い人。流行に敏感な人、古いしきたりを大切にする人。お金にゆとりがあるのかゆとりがないのか。若者、老人などなど。
で、そのような人なのかどうかは、会うことができればわかる人にはわかります。
これが、インターネット上のコミュニティとなると、判断材料が文章しかありません。
また、器も形式上はありますが、参加する人が多すぎるとほとんど集まる人の制限には役に立ちません。
インターネット上で文章を発表するというのは、近所の雑多な場所でムダ話をするのとは違います。全世界にその主張を発信するのとほぼ同じことです。
全世界に発表するのですから、いろいろな人が見に来るのは当然です。いろいろな人とは、具体的には、情報発信者のファンになる人、アンチになる人、ただ単に主張のみが気になる人、いろいろ発信者について調べたい人、職場の同僚、親戚、似た嗜好の人がたまたま検索でひっかかった人、など。
もしかしたら、ネットの機能で自動的に翻訳されて、相手が外国人かもしれません。それはさておき。
パソコン通信初期ならば、人数が少なくて通信できるだけで仲間でした。インターネット黎明期も同様です。人数が増えれば増えるほど、他の要素で仲間を見分ける必要が出てきます。特定サイトに出入りする人、など。以下、それの繰り返しで、自分にとって不都合な人を除外するのはほぼ不可能です。
自分の主義主張行動について、インターネットに文章を残すということが、全世界に情報発信することと同じであり、それは情報発信者本人に多くの人が注目するきっかけになる。想定外の人をも引き寄せる。それがわかっていない人が、意外と多いようです。
自分の情報発信によって、どんな人が集まってくるのか、どんな人が興味を持つのか、自分の両親、恋人、同僚、上司など身内に読まれても恥ずかしくない内容なのか、考えながら行動するべきでしょう。